人間が「善」と信じる
また、人間が「善」と信じることをおこなったとして、神がそれを「善」と受け取るというのも、おかしな話である。 人間が「善」と信じることを、同じように、「善」と感じるなら、それは人間そのものであって、神ではあるまい。 やはり、神というからには、旧約聖書の神のように、かなり理不尽な理由で人類を滅亡させるくらいの、めちゃくちゃさ、横暴さを発揮してくれて、はじめて、超人間的と言えるのであろう。 ( べつに、聖書の悪口を言う趣旨ではないが、旧約聖書の神は、ハンパな悪魔など目ではないくらいに悪魔的だ。いや、誰かの気に障ったらすまぬ。たんに私の感想だ) しかし、わたしは、神が存在するという前提をとらないので、「自分の人生は、自分の意思ではまったく変えようがない」とは思わない。 ただ、一方、「人間は、自分の努力によって、なんであっても可能になるのだ!人間には無限の可能性があるのだから!」 と断定するほどには、楽天的ではない。 たとえば、私は、日本に生まれ、過去、人生の大半を日本で過ごした。 このことによって、飢えずにこの年齢まで生きてきた。 世の中には、生存することが大変で、飢えるのが当たり前の国は少なくないのだから、これは、とてもラッキーであったろう。 一方、使用言語は、ほとんど日本語であり、英語も多少は解するが、どうしても時間がかかる。これは、日本に生まれたことが大きく影響しているであろう。 その意味では、日本という国の環境に、私の人生は、かなり影響されている。いかに意思的に生きたとしても、環境から完全に自由になることは、ちょっと無理だと思う。 その意味では、環境というものは、ある程度、運命的であるということはできるだろうか。- 次のページへ:過払い金の把握
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